なんでも「Yes」で応える男がいた。
極端にヒドイことでなければ
何を頼まれても、何を言われても
どんなことを指示されても
答えは、いつも同じ「Yes」だった。
その男は、そう答えることで
自分の道が開けると信じていたのだ。
確かに、そのかげで
やったことのないことに挑戦することや
知らない分野を知ることができたし
どんどん世界や知識が広がっていった。
ほとんど断ることがないので
みんなから頼りにされ人気もあった。
そのうち頼まれごとは
どんどん、度を増していったが
それでも、男の返事は変わらなかった。
なんにでも、挑戦するといえば聞こえはいいが
そこに男の意思はなく
流れてきたものに乗っただけで
ただ単に流されているだけのような行為だ。
小さな小川は、やがて大河となり
流れも激しくなり
流れに流され、流れ着いた先は大海原だった。
時代の波に乗り成功したかのように見えたが
錨(怒り)を降ろす
石(意思)さえ持ち合わせていない男は
「Yes」という波に乗り続け
愛しい妻子を陸に残し漂流し、
遭難してしまったのだ。
自分が遭難したことに気付かない男は
水平線に沈む夕日を眺め、その美しさに感嘆し
満点の星空を見ては、幸せを感じていた。
海を渡る風や青空を飛ぶ鳥に
何事にも囚われない自由さを見てた。
前向きな男は、家族や街のみんなが
自分のことを心配しているなどと
つゆほども思うこともなく
この危機的状況でさえも楽しんでいた。
ある時、海の波間から
一人の女性が、ヒョコッと顔を出し
壊れそうな男の乗り物を、ゆらゆらと揺らした。
潜るときの海面を打つ優美な尾ひれを見て
マーメイドだとわかった。
いたずら好きの無邪気なマーメイドは
その後も度々やって来ては、
男に貝や魚・海藻といった海の幸・食料を与えた。
時に、自分が身につけていた
真珠やサンゴでできたアクセサリーを
男にプレゼントすることもあった。
お腹をすかせていた男は
今まで食べたことのない美味しい海の幸を堪能し
見たこともない麗しい海の宝飾に目を輝かせた。
これは、自分が「Yes」で応えて来たから
こんな奇跡のような機会に恵まれたのだと思い
自分は正しかった、と
今までの自分を褒めたのだった。
そして、壊れそうな乗り物で
波に乗り流されているだけで
マーメイドが美味しい食料と
宝物を運んで来てくれる。
男は、この環境にしがみつき
大切な妻子のことを忘れマーメイドに夢中になった。
男は、陸の世界の話をし
マーメイドは、海の世界の話をした。
お互いに住んでいる世界のことや
これまで歩んできた身の上話など
時間を忘れ永遠と語り合ったのだ。
男は、海という異次元の世界の話を聞くたび
そんな世界があるのか!!と大いに刺激を受けたし
マーメイドの不遇な人生を聞き
なんと健気で頑張り屋なんだ、と心を寄せた。
マーメイドの歌には、不思議な力があった。
男は、その魔法のような現象を
幾度となく目の当たりにし
ますます興味を駆り立てられた。
やがて、マーメイドは
「あなたにも、できるわよ」と
不思議な力で、物を操る術を男に教えはじめた。
男にも、その力が使えるようになった頃
マーメイドは、男の首に手を回し耳元で
吐息交じりに優しく
「こっちの世界は楽しいよ、一緒に行こうよ」と
囁いた。
海の中は、空よりも青くキレイで
イルカやクジラ、クマノミ、イソギンチャク
色んな種類の魚たちがいて
みんな仲間と毎日楽しく過ごしている。
好奇心旺盛な男にとって
海の中は、興味深い異次元の世界だった。
その世界を覗いて見たいと思った。
自分でも海中で暮らせるんじゃないか
マーメイドといれば、自分が持っている
隠れた力や能力が開花するに違いないと
信じて疑わなかった。
時々、男の乗り物に鳥たちがやってきて
「あのマーメイドには、気をつけたほうがいい」、
「近づかないほうがいい」、
「自分でオールを漕ぎ、陸に戻るんだ」と忠告したが
マーメイドに、すっかり陶酔していた男は
「君たちに、彼女の何がわかるんだ」と声を荒らげた。
空高い上空から、全体を俯瞰的に見ていた
鳥たちの声は、男には一切届かなかったのだ。
そして、陸(地)に足が着いていない男は
マーメイドに言われるがまま
次元の違う世界(海中)に飛び込んだ。
自分がいた陸の世界を忘れ
かけがえのない妻子を忘れ
街の人々のことを忘れ
鳥の声を無視し
自分を勘違いし本当の自分を見失った男は
自分が持つ運と知識、情報、知恵、経験、我欲に溺れ
海の藻屑と消えた。
そして、戯れ好きなマーメイドは言う
「あなたに飽きたから、別の男を探すわ」。
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