テレビを見ていると
「ここまで来れたのは、私を支えてくれた
皆さんのおかげです」
「この魚は、食べれるんですか?」
「その衝撃の映像が見れます」
のような会話を耳にすることがあります。
こういった口語(話し言葉)は
テレビの画面にテロップとして
表示されることも多いですよね。
でも、画面をよくよく見ると
テロップでは、
少し違う表現をしているのですが、
どこが違うか、分かりますか?
テロップでは
「ここまで来られたのは、私を支えてくれた
皆さんのおかげです」
「この魚は、食べられるんですか?」
「その衝撃の映像が見られます」
(口語がそのまま、テロップになっていることも
ありますが。。。σ(^_^;) )
そう!注目して欲しいのは
ここまで来れた、
食べれるんですか?
映像が見れます。
の箇所です。
これらの文章は、「ら」抜き言葉といって
「食べる」「出る」「見る」「着る」などの動詞を
「〜られる」という可能形にするときに
「ら」を抜いた言葉のことをいいます。
誤)食べれる → 正)食べられる
誤)出れる → 正)出られる
誤)見れる → 正)見られる
誤)着れる → 正)着られる
となります。
この「ら」抜き言葉については
色んな見解があるのですが
話し言葉では、容認しても
正式な表現としては、
認められていないのです。
みなさんも、気を付けてくださいね☆
ピンバック : 「さ」入れ言葉 | フリーライターが綴る「文章作りの豆知識」と「日本語コラム」
wo-admin
音藤さんの言われるように、日本語は時代の流れとともに変化していきます。その中で淘汰され残っていく言葉と、消えていく言葉があり中には、間違った言葉が市民権を得てしまい本来と違う使い方をされてしまうものもあります。今回の「ら」抜き言葉については、会話などの話し言葉(口語)では、許容範囲ですが、文章として書く(文語)場合においては、「ら」抜き言葉として判断されるでしょう。
音藤 雅実
私は、「ら抜き言葉」は実は日本語の進化なのではないかと考えています。「よい言語」の条件とは、「簡潔」「明瞭」「多様な状況や様態を正確かつ細やかに表現できる」でしょう。
「~られる」は、尊敬・受身・自発・可能を表しますが、「これ、食べれるの?(可能)」と言う人も「猫に金魚を食べれちゃった!(受身)」とは言いません。つまり可能では舌がもつれるのを回避しつつ、受身では忘れずに「ら」を入れて、使い分けているのです。これは、前述の「よい言語」三条件を「ら」を抜くことで新たに満たしているように思われるのです。